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大阪地方裁判所 平成7年(行ウ)38号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

金子利夫

井上二郎

中島光孝

被告

岸和田労働基準監督署長

灘波正道

右訴訟代理人弁護士

浦野正幸

右指定代理人

河合裕行

外五名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告が平成五年七月二七日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二  当事者の主張

一  当事者間に争いのない事実

1  原告は、亡甲野A(昭和一六年一一月一日生まれ・以下「A」という。)の妻である。

2(一)  Aは、昭和六三年一二月一九日午前一〇時ころ、勤務先の大阪府貝塚市所在の廣道興産株式会社(以下「廣道興産」という。)の工場内で稼働中、リフトを足場にして地上約2.5メートルの場所にあった原料を整理している際に、足を滑らせて地上に落下し、コンクリート面で顔面及び身体を強打するという労働災害に被災し(以下、この事故を「本件事故」という。)、昏睡状態に陥り、病院に搬送された。

(二)  Aは、本件事故により、「頭部外傷Ⅱ型、全身打撲、顔面・口腔内挫創、頚部捻挫」等の傷害(以下、合わせて「本件傷害」という。)を負った。

(三)  Aは、平成三年一月三〇日午後一一時三〇分ころ、自宅近くの貸ガレージ内において、縊頚により、自殺(以下「本件自殺」という。)した。

3  原告は、被告に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき、遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたが、被告は、平成五年七月二七日付けで、本件自殺は業務に起因するものではないとの理由で、右各給付を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

原告は、本件処分を不服として、同年九月、大阪労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、右審査官は、平成六年七月一八日付けで、右審査請求を棄却する旨の決定をした。

原告は、この決定を不服として、同年九月一六日付けで、労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、三か月を経過するも裁決がなかったため、平成七年五月三〇日、本件訴えを提起した。

二  争点及び争点に関する当事者双方の主張

1  争点

本件自殺が本件傷害に起因するものであったか否か(本件自殺の業務起因性の有無)

2  原告の主張

(一) Aには、神経症の既往症があったが、本件事故前は精神的にも安定していた。ところが、本件傷害がAの神経症状の悪化を招き、抑うつ状態を招来させて、反応性うつ病の発病をもたらし、このことが本件自殺の決定的な原因となったのである。

(二) 労働者災害補償制度は、労働者の生存権保護を目的とする制度であり、業務起因性の因果関係の判断にあたっては、損害賠償制度における因果関係の判断に比して、緩やかになることはあっても、厳しいものになってはならない。

右(一)記載のとおり、本件事故がAの前記業務に起因することは明らかである。そして、本件自殺は、本件傷害、すなわちAの業務上の負傷に起因し、本件自殺と本件傷害との間には因果関係(相当因果関係)がある。そうすると、本件処分は、事実を誤認し、本件事故と本件自殺との因果関係についての認定を誤ったことになるから、本件処分が違法であることは明らかである。

(三) よって、原告は、本件処分の取消しを求める。

3  被告の主張

(一) Aは、本件自殺当時、強度の抑うつ状態にあったが、正常人としての自由意思を欠くほどの精神障害の状態にあったとはいえない。また、Aの抑うつ状態は、本件自殺の一週間ないし一〇日前ころから増悪しているが、Aは、もともと神経症の既往症があり、わずかな心身のストレスによって容易に神経症状や抑うつ症状を惹起しやすい素因を有していたところ、Aの勤務先の事業閉鎖及びAの失職が直接的な誘因となり、さらに、家庭内での葛藤などと相俟って、右状態に至ったのである。

(二) 労働者の自殺による死亡が業務起因性があるというためには、①死亡が労働者の自由意思に基づくものでないこと(自殺当時の精神状態が極度の精神異常又は心神喪失状態の場合であること)、②業務と疾病等及び疾病等と当該労働者が自殺行為に至った精神状態との間にそれぞれ相当因果関係があること、③業務を含む複数の原因が競合している場合には、業務に関する原因が他の原因に比べて相対的に有力であることの各要件が充たされる必要があるところ、右(一)の事情を考慮すれば、Aの死亡がその業務に起因するものであったとはいえないのであるから、労災保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の本件処分に違法はない。

第三  証拠

証拠関係は、本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第四  当裁判所の判断

一  前記当事者間に争いのない事実に、甲第一ないし第四号証、第八ないし第一一号証、第一三ないし第一七号証、乙第一ないし第四号証の各一、二、第五号証、第六ないし第九号証の各一、二、第一一ないし第一五号証、第二〇ないし第二六号証、平成二年一〇月一五日撮影に係るAの写真である検甲第一号証の一、二、証人津本学及び同名倉益男の各証言及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  Aは、昭和一六年一一月一日に出生し、中学校卒業後しばらくして、郷里の鹿児島県鹿屋市から来阪し、昭和四二年一一月に原告と婚姻した。Aと原告との間には、昭和四三年一〇月に長男Kが、昭和四五年六月に双子の二男S及び三男Bが、それぞれ出生した。なお、長男Kは、脳性小児麻痺のために、左半身に障害があり、身体障害者三級の認定を受けている。Kは、高等学校(養護学校)卒業後ふとん製造会社に就職したが、一、二年経過したころから、仕事を休みがちになり、出社しないときは、自宅で過ごしていた。また、Sは高等学校中退後、Bは中学校卒業後、それぞれ就職している。

Aは、原告との婚姻当時、クリーニング店で稼働していたが、S及びB出生後、ワイヤーロープの製造工場等で働くようになり、よりよい収入を求めて、数回にわたる転職を経た後、昭和六一年ころ、廣道興産に入社した。

なお、Aは、明るく、冗談好きで、人懐っこい性格であったうえ、仕事好きで、園芸や写真を趣味としていた。また、Aは、子供好きで、本件事故前は、子供会の諸行事にも参加していた。

2  Aは、バイクの転倒事故により、一七、八歳のころからてんかんの発作を起こすようになり、その治療のため、昭和五八年五月ころから、大阪府泉南郡熊取町所在の音田医院で投薬治療を受けていた。Aは、昭和五九年秋ころに、てんかんの発作が頻発したため、昭和六〇年一月二三日、大阪市内の小出内科神経科に転院したが、初診時に焦燥感や徐波混入が認められ、てんかん及び神経症との診断を受けた。

Aは、その後継続して小出内科神経科の診療を受けていたが、小出内科神経科が行った投薬状況等の診療の内容は、別紙記載のとおりである(なお、別紙備考欄の記載は、小出内科神経科のカルテの記載の一部を抽出したものである。)。

小出内科神経科におけるAの神経症に関する治療としては、昭和六〇年三月六日にソナコン(抗不安薬)二〇日分が投与されたほかは、精神療法や通院カウンセリングが行われていた。しかし、同年二月ころから、Bの高等学校進学やSの高等学校退学等の問題が生じ、Aが家族と対立するなどの状況に発展した。そこで、小出内科神経科は、同年八月七日以降、ほぼ一か月に一回の割合で行われていた診察の際に、イライラしたときの頓服薬として、ソナコン三〇日分を投与し(ただし、同年一二月及び昭和六一年一月を除く。)、昭和六二年一月二六日以降は、ソナコンの投与量を二倍に増加した。

3  Aは、昭和六三年一二月一九日、本件事故に遭った。Aは、本件事故により、頭部外傷Ⅱ型、顔面・口腔内挫創、歯欠損、頚部捻挫及び全身打撲等の傷害(本件傷害)を負い、一旦貝塚病院に運び込まれた後、和泉市立病院に転送され、和泉市立病院からは、一か月の安静加療を要する見込との診断を受け、平成元年一月二一日まで入院した。

Aは、当初は意識障害(半昏睡状態)、顔面・口腔内挫創傷、両手関節部腫脹等の症状を呈し、和泉市立病院で本件傷害(主に外傷性頚部症候群による頭痛、頚部痛)についての診療を受ける傍ら、平成元年五月三〇日から玉川診療所に、また、同年六月八日からは関連施設の玉川鍼灸治療所へ通院し、主に腰痛を対象として、投薬、理学療法、運動療法や鍼灸などの治療を受けた。その結果玉川診療所の診断によれば、Aは、同月ころには、頚部の運動障害や外傷性頚部症候群が主症状となるまでに回復した。

Aは、平成元年四月一日から職場に復帰したが、職場での作業が充分できず、また、周囲の対応も冷ややかであったことなどから、外傷性頚部症候群の症状が悪化した。そして、Aは、玉川診療所の医師の指示により、同年七月一四日から再び休職し、治療を受けた結果、玉川診療所の診断によれば、平成二年二月ころの主な症状は、頚部の運動制限及び運動時痛、右肩の痛みや頭痛であったが、以前に比べると、神経テストや右手の握力低下は改善され、右肩の痛みや頭痛も軽減していた。

これに対し、頚部の運動制限及び運動時痛は、平成二年七月以降も続き、Aは、そのころ、本件傷害のうち外傷性両側顎関節症等の治療を受けていた池田歯科診療所で、口唇の痺れや頚部痛、偏頭痛等を訴えていたが、池田歯科診療所で咬合挙上副子の装着などの治療を受けたところ、同年一〇月以降は、偏頭痛は残ったものの、頚部症状は、かなりの改善が見られた。

また、頭痛について、Aは、和泉市立病院脳神経外科において、本件傷害以降、頭痛を訴えており、平成二年七月以降も時々頭痛がある旨を述べていた。Aは、同年九月七日の診察の際には、頭が締めつけられるように痛いと話したが、同月二〇日には時々頭痛がある旨の訴えとなり、さらに、同年一二月二七日には起床時に頭痛があるとの訴えとなった。

なお、Aは、同年一一月、玉川診療所においても、起床時の肩の痛みを訴えていた。

平成三年一月初めころの右各診療所や病院のAの病状に対する診断は、玉川診療所では昨年に比して首の状態はましというものであり、和泉市立病院脳神経外科では比較的良好というものであった。また、池田歯科診療所においても、偏頭痛の程度が少なくなった旨の診断が下されていた。

4  Aは、前記のとおり、平成元年七月一四日から休職していたところ、廣道興産は、同年一一月二日、Aら従業員に対し、年内をもって事業閉鎖したい旨を通告した。その後、廣道興産と労働組合との間で、会社再建を巡る協議が行われたが、事業継続へ向けての方策を見出すことができず、廣道興産は、平成二年七月三一日をもって事業を閉鎖し、Aは、同日付けで廣道興産を退職した。Aは、同年八月二八日、廣道興産から、労働災害による損害賠償や退職金などを含む六九〇万円の和解金の支払を受けたが、休業損害に関する給付は継続され、また、原告がパートタイマーとして働いていたため、直ちに生活に窮するようなことはなかった。

Aは、平成二年一〇月半ばころ、郷里の鹿児島県を訪れ、一〇日間程にわたって、実姉の家に滞在したり、九州各地を観光したりしたが、この旅行の費用には、廣道興産から支給された前記和解金を充てた。

5  Aは、前記のとおり、平成元年五月三〇日から玉川診療所へ通院するようになったが、当初は、明るい態度で、他の患者と待ち合わせをして通院するなどしており、同年冬ころには、いらいらして怒りっぽくなったり、根気がなくなるなどの状態が見られたものの、自ら栽培した花を診療所に持参したり、他の患者に分け与えたりしていた。しかし、平成二年夏の終わりころから一か月程の間は、診察時間帯を変更して他の患者と会うことを避けるようになったばかりでなく、口数も少なく、ぼんやりとした状態でいたり、診療所の待合室においても、沈み込んだ様子を見せ、また、リンゴの鉢植えに虫がいると言って大量に薬をかけ、これを枯らしてしまったこともあった。

また、Aは、そのころ、他の患者に対して、和泉市立病院脳神経外科から処方された痛み止めの薬を飲むと激しい下痢におそわれ、憂鬱であるとか、頭痛がひどくハチマキをしているが夜も眠れないなどと話したこともあった。

Aは、平成三年に入ったころから、眠れない日が多くなり、口数が減って、冗談を言って人を笑わすこともなくなった。そして、Aは、趣味の園芸をやめたり、好きだったテレビの洋画も最後まで見なくなったうえ、通院以外には外出もほとんどなくなり、イライラしたり、ぼんやりした状態の生活が続いており、原告が声をかけても、応答しないことがあった。

6  Aは、平成三年一月二二日、小出内科神経科を訪れ、頭痛や頭重、苛立ちを訴え、抑うつ状態との診断を受けたが、そのころ、Aは、和泉市立病院脳神経外科から頭痛薬の処方を受けていた。また、Aは、同年一月二九日には、玉川診療所で、「頭(特に右)が締めつけられるように痛い。ハチマキをしている。寝られない。夜中途中で目が覚める。」などと訴え、頭痛薬の投与を求めたが、玉川診療所の医師は、和泉市立病院脳神経外科から投与されていた薬剤との競合による副作用を心配し、翌々日に予定されていた和泉市立病院脳神経外科の診察の際に相談するように話し、頭痛薬は与えなかった。

なお、Aは、同月二七日、かつて所属していた労働組合の関係者に電話をかけ、一日も早く働きたい、首から下はすっかり元気だけど首から上は頭が痛くて夜も眠れないと告げたり、下痢のために外出もできないと訴えたりした。

7  平成三年一月三〇日、Aは、午前一〇時ころ起床し、玉川診療所に行くと言いながら、外出する様子も見せず、炬燵に座り込んだままぼんやりとして過ごしていたが、昼近くに起床してきた長男Kとの間で、起床時間が遅いと注意したことを巡って口論となった。その後、Aは、原告が話しかけても返事をせず、昼食も摂らないまま、炬燵でぼんやりとして過ごしていたが、同日午後五時ないし六時ころになって、自宅の前に駐車していた自動車を近所に借りている貸ガレージに入れるために家を出た。原告は、Aが深夜になっても戻らなかったため、Aのことが心配になり、ガレージの様子を見に行ったところ、ガレージには、内側から施錠されていた。そこで、原告は、自宅に鍵を取りに戻り、ガレージの扉を開けたところ、Aが縊頚により死亡しているのを発見した。

8  本件自殺の状況は、Aが内側からガレージの鍵をかけてこれを着衣のポケットに入れ、ガレージ内の軽自動車の後方に脚立を立て掛けてこれに昇り、道具箱に入っていたロープをガレージの梁に掛けて、首を吊ったもので、Aの死亡時刻は、同日午後一一時三〇分と推定された。

二1  本件の争点は、Aの死亡がその業務に起因するか否か(業務起因性の有無)であるが、前記認定のとおり、Aの死は、自殺によるのであるから、労災保険法一二条の二の二第一項の規定との関係が問題となる。同項は、労働者が故意に傷害や死亡を生じさせたときは、政府が保険給付を行わない旨を規定しているが、労働災害補償制度が、自己の業務を行うために労働者を支配下におき、労務を提供させる使用者が右労務提供の過程において当該業務に内在する危険によって労働者を死傷させるなどの結果が発生した場合、労働者に発生した損害を政府が使用者に代わって填補することを目的とした制度であることを考えると、同項の趣旨は、業務と死傷等の結果との間の因果関係が中断された場合において、それが労働者の故意に基づく行為によるときには、政府が保険給付を行わないことを注意的に規定したものと解すべきである。

そして、労働者が自殺した場合、通常は、当該労働者が死の結果を認識し、これを認容したといえるのであるが、そのことから直ちに当該労働者に故意があり、同項により、保険給付を受けられないと解すべきではなく、当該労働者が自殺に至った原因を究明し、その原因と労働者が従事していた業務との間に因果関係(相当因果関係)が認められる場合には、業務起因性が肯定され、労働災害保険給付の対象になると解するのが相当である。

2  これに対して、被告は、前記のとおり、自殺による労働者の死亡に業務起因性が認められるためには、死亡が労働者の自由意思に基づくものでないこと(自殺当時の精神状態が極度の精神異常又は心神喪失状態の場合であること)が要件になると主張する。

しかしながら、前記判示のとおり、労働者の自殺による死亡の業務起因性の有無は、当該労働者が従事していた業務と自殺に至った精神状態との間の相当因果関係の有無によって判断されるべきであり、自殺当時の精神状態が極度の精神異常又は心神喪失であったかどうかについては、その判断の過程において、当然考慮される事柄である。そして、労働者が労働災害である傷害等によって耐え難い苦痛に苛まれた結果抑うつ状態に陥り、自殺を敢行した場合のように、自殺に労働者の自由意思がある程度介在していたとしても、業務との因果関係を肯定できる場合があり得ることに鑑みれば(殊に、本件のような精神障害に起因する自殺が問題となる場合においては、症状がある程度緩解した際に自殺を敢行することが少なくないことは、一般に知られているところである。)、被告の主張は、労働災害補償制度の適応範囲を不当に狭める結果を招来しかねないというべきである。

すなわち、被告の右主張は、本来相当因果関係の一要素にすぎないものを独立の要件とし、労働災害補償制度の趣旨を離れて、その適用の厳格化をもたらすものであるから、相当でないといわなければならず、したがって、被告の右主張は採用できない。

3  右に述べたとおり、本件自殺とAの業務との間に相当因果関係が認められれば、その業務起因性が肯定されることになる。そして、原告は、Aが本件傷害によって、反応性うつ病に陥り、この反応性うつ病が本件自殺を招来した旨を主張する。そうすると、本件においては、本件傷害がAの業務に起因すること及び本件自殺が本件傷害に起因することの二つの段階において、それぞれの相当因果関係が肯定されることが必要となる。もっとも、前記のとおり、本件傷害がAの従事していた業務に起因することは当事者間に争いがないから、本件自殺が本件傷害に起因することが認められれば、Aの死亡に業務起因性があることになる。

三  以上判示の考え方を前提として、Aの死亡の業務起因性について検討する。

1  原告は、Aには神経症の既往症があったものの本件事故前は精神的にも安定していたところ、本件傷害がAの神経症状の悪化を招いて、抑うつ状態を招来させ、反応性うつ病の発病をもたらし、このことが本件自殺の決定的な原因となった旨を主張する。

2(一)  確かに、前記認定の事実によれば、Aは、本件傷害以降頭痛を訴えており、特に、平成三年一月に入ってからは、強度の頭痛のために、不眠を訴えたり、痛みを抑えるためにハチマキをしていたことを考えると、この頭痛が本件自殺の発生に少なからぬ影響を与えたものと推測される。そして、Aは、本件事故以前には、右のような頭痛を訴えていたとの事情が見当たらないことや本件傷害の部位、程度に照らせば、原告主張のように、本件傷害による頭痛がAを苦しめて抑うつ状態に陥らせ、本件自殺を敢行するに至ったとの可能性を完全に否定してしまうことはできない。

(二)  しかしながら、前記認定の事実によれば、本件においては、次の諸事情があり、本件傷害と本件自殺との間の因果関係を判断するにあたっては、これらの事情をも検討する必要がある。

(1) 本件傷害が発生したのは、昭和六三年一二月一九日で、本件自殺の二年以上前である。Aは、本件傷害以降頭痛や頚部の障害を訴えていたが、頭痛については、消長はあったものの、次第に軽快に向かっており、平成三年一月初めころの右各診療所や病院のAの病状に対する診断は、玉川診療所は昨年に比して首の状態はましというものであり、和泉市立病院脳神経外科は比較的良好というものであったし、池田歯科診療所においても、偏頭痛の程度が少なくなった旨の診断が下されていたのであって、本件傷害による頭痛などの障害は、一進一退の状況を呈しつつも、全体としては快方に向かっていたというべきである。

さらに、Aは、平成二年一〇月には、単身で郷里に一〇日間程の旅行をし、その間、頭痛等の特段の支障が生じた形跡もなかったことを考えると、Aの本件傷害による頭痛などの障害は、平成二年秋ころには、相当程度軽快していたとも考えられる。

(2) また、原告の主張する反応性うつ病は、当該患者の性格や素因が深い関係を有していることが一般に認められているところ、Aには、前記認定のとおり、神経症の既往症があり、昭和六〇年以降、小出内科神経科において、投薬やカウンセリングの治療を受けていたのである。神経症や反応性抑うつ病については、必ずしもそのすべてが医学的に解明されているわけではないが、いずれも心因性の精神障害で、精神的負荷によって発症するものであり、気分が滅入ったり、気力や意識の低下、睡眠障害、頭痛など、身体的、精神的症状も共通のものが少なくない。そして、小出内科神経科においては、初診時から、Aを神経症と診断し、カウンセリングを行っていたうえ、抗不安薬のソナコンを頓服薬として投与していたのである。このような事情に照らせば、Aは、その程度はともかくとして、少なくとも、神経症に罹患していたことは明らかであり、また、前記神経症と抑うつ病との原因の類似性等に鑑みれば、Aは、抑うつ病に罹患しやすい精神的素因を有していたということができる。

(3) さらに、Aの病状を検討するに、前記認定の事実によれば、Aは、平成二年夏の終わりから秋ころにかけて、知人と顔を合わせることを避けるようになったり、元気をなくしたり、ぼんやりした様子をみせ、あるいは、虫がいると言って鉢植えの植物に大量の薬をかけて枯らしてしまうなど、Aの感情の抑うつ、不安、ゆううつ感の表われ、あるいは妄想とも思われる言動が顕著になっていたことに鑑みれば、Aには、このころから抑うつ症状が表われたというべきである。そして、うつ病(特に反応性うつ病)の発病については、発病直前に直接的誘因となるような出来事が生じていることが多く、そのような誘因としては、失業、転職などそれまで慣れ親しんでいた状況の変化を伴うものが多いことは一般に知られているところであるが、Aの廣道興産からの平成二年七月末日付け退職は、一般的にみて、そのような誘因に該当するばかりでなく、これまでの数回の転職とは異なり、右退職はAの意思に基づくものではなかったうえ、Aは、本件傷害のために、充分に稼働することができず、新たな就職先の確保にも相当な困難を感じていたであろうことは容易に推測できるのであるから、六九〇万円の和解金の支払を受けていたとしても、右廣道興産からの退職によって、Aが相当程度の精神的、心理的負担を感じていたと考えられる。これにAに抑うつ症状が表われた時期が廣道興産を退職した時期に近接していることや、別表記載のとおり、小出内科神経科のカルテにAと家族との間に心理的葛藤があったことを窺わせる記載が数回にわたってなされていることを考えれば、もともと神経症の既往症を有し、比較的低度の心身のストレスの負荷で抑うつ症状を惹起しやすい素因を有していたAが、神経症の罹患に加えて、廣道興産の退職や家庭内の葛藤などの心理的負荷が誘因となって、発症した可能性も否定できない。

(三)(1) 右判示の事情を総合すれば、本件自殺は、本件事故から二年余りの期間を経過した後に発生しており、本件傷害による頭痛などの障害は、本件自殺の前の時点で、かなりの程度回復していたといえるうえ、Aの神経症が本件事故以降も特に症状が悪化するなどの事情も認められないことに照らせば、本件傷害は、Aに対する精神的負荷としては、それほど重大な影響を与えていなかったとも考えられる。

さらに、本件自殺の半年程前の平成二年七月末日には、Aが廣道興産を退職するという事態が生じており、右退職に至る経緯やその後の就職に対する不安等、Aにかなりの程度の精神的負荷が生じていたといえるし、前記のとおり、Aには、神経症の既往症があり、もともと精神的負荷に対する耐性が強くなかったと思われる。

(2)  そして、本件傷害による頭痛などの障害は、一進一退の状況を繰り返しながらも、平成二年一〇月の時点では、単独で一〇日間にも及ぶ九州旅行ができるまでに回復し、Aの頭痛も、右旅行の支障になったとの事情が窺われないことや前記各医療機関の診断からすれば、軽快の方向に向かっていたといえる。

さらに、本件事故後も、Aの神経症の症状が重くなるなどの事情も見当たらないことに照らせば、本件傷害は、Aにとって、それほど大きな精神的負荷になっていなかったことが窺える。そして、Aは、本件自殺の前に強度の頭痛を訴え、眠れなかったり、ハチマキをして痛みを和らげようとしていたのであるが、前記のとおり、神経症やうつ病に伴う身体症状としても、頭痛が発生する場合があることを考えれば、Aの頭痛は、神経症やうつ病の身体症状として発現したものと考えることもでき、本件傷害に由来するものであったと断定することはできない。

また、Aが神経症の既往症を有するなど、もともと精神的負荷に対する耐性に欠け、うつ病に陥りやすい素因を有していたともいえるうえ、Aには家庭内における葛藤があり、また、Aは抑うつ症状が表われたのと近接した時期に廣道興産から退職していること、さらには、Aのように、頭部や顔面、頚部にかなりの程度の傷害を負うことは、交通事故やその他の事故においても、少なからず生じているところであるが、負傷した者が、抑うつ症状に陥り、自殺に及ぶことは比較的希であることなどの事情を総合して考慮すれば、本件自殺は、被告主張のように、神経症の既往症があり、うつ病に陥りやすい素因を有していたAが、家庭内の葛藤や廣道興産からの退職などによる精神的負荷が高まったことにより、抑うつ症状を起こし、うつ病を発症した結果、発生したと考えることも充分可能であり、原告が主張するように、本件傷害が原因となってAが抑うつ症状を発症し、右抑うつ症状が高じて本件自殺に至ったものと断定することはできない。すなわち、本件傷害と本件自殺との間に相当因果関係を認めることはできず、したがって、本件自殺の業務起因性も認めることができない。

(四)  これに対し、小出内科神経科の医師小出秀達(以下「小出」という。)は、書面(甲第六号証、乙第一〇号証の二)において、Aの性格が本件傷害以前において自殺への準備を行うほどの偏りがあったとは考え難いとか、本件傷害による外傷が反応性うつ状態の原因である旨の見解を述べる。

しかしながら、小出の右見解は、客観的根拠が明らかでないうえ、前記のとおり、小出内科神経科においては、本件事故以前から、Aがてんかん及び神経症であるとの診断のもとに、ソナコンの投与により、神経症の治療を行っていたのであるし、また、神経症の既往症を有するAが、抑うつ症状に陥りやすい素因を有していたといい得ること(実際に表われたAの神経症の症状が軽微であったとしても、Aが右のような素因を有していたこと自体が抑うつ症状に陥りやすい状態であったといえる。)及びAの家庭内における葛藤や廣道興産からの退職等も反応性うつ病の原因足り得るとの事情に照らせば、Aの性格が本件傷害以前において自殺への準備を行うほどの偏りがあったとの見解は、直ちにこれを受け入れることができない。また、本件傷害による外傷が反応性うつ病の原因であるとの点についても、前記のとおり、本件傷害は、回復の方向に向かっており、Aが最も苦しんでいた頭痛は、Aの神経症やうつ病に伴う身体症状の発現であった可能性が小さくないことに鑑みれば、本件傷害による外傷が反応性うつ病の原因であったと断定することはできない。

よって、小出の前記見解は採用できない。

(五)  また、医師の証人津本学(以下「津本」という。)は、Aの症状が平成二年一〇月までは回復に向かっていたが、その後増悪し、疼痛再発によるAの苦悩や将来への悲嘆がAを抑うつ状態へと発展させた旨を供述し、これと同旨の意見書(甲第一二号証)を作成している。

しかしながら、津本の証言によれば、右判断自体が専門医の作成したカルテに記載された症状や投薬状況のみを前提としたものであることが認められるところ、本件のように、Aの神経的、精神的状態が問題となる事案においては、Aの言動等に関する関係者の供述等、Aの病状を探る手掛りとなる資料を無視することはできず、それが信用できるものである限りにおいては、これらの資料によって認められる事情も、Aの病状を判断するにあたって、考慮するのが相当というべきである。したがって、津本の右判断の前提自体、疑問が残るといわなければならない。

さらに、前記のとおり、和泉市立病院脳神経外科は本件傷害に係る頭部外傷はおおむね治癒していた旨の、玉川診療所でも本件傷害の症状が年単位の比較によれば軽減している旨の各診断をしているし、本件自殺直前のAの頭痛等の症状は、神経症やうつ病に伴う身体症状の発現とも考えられるのであるから、津本の右見解をそのまま採用することはできない。なお、津本は、平成三年一月二二日に小出内科神経科が抗うつ薬ではなく頭痛薬のサリドンを処方していることを右判断の根拠の一つとしているが、小出内科神経科の右措置は、単なる対症療法とも考えられるのであるから、そのことから直ちに、Aの抑うつ症状が軽快したと考えることはできない。

よって、津本の前記見解は、これを採用することができない。

(六)  さらに、医師の李仁煕及び普天間健(以下、合わせて「李ら」という。)が作成した意見書(甲第五号証)には、Aが本件傷害によって神経衰弱症状に陥った後、本件傷害による痛みによる焦燥感から心気症状を呈し、これらのことに起因する抑うつ状態が増悪した結果、本件自殺に至ったとの見解が示されている。

しかしながら、李らの右見解は、神経症の既往症というAの素因が考慮されていない点に問題があるばかりでなく、本件自殺直前のAの頭痛等の症状が神経症やうつ病に伴う身体症状の発現とも考えられることを考慮していない点で相当とはいえない。また、李らは、右意見書に、Aのうつ病の誘因につき、復職後の休職や廣道興産の退職が寄与したであろうと記載しているのではあるが、前記のとおり、これらの事情は、Aの抑うつ症状の発症について、かなり大きな影響を与えた可能性があるというべきであって、李らの右見解は、これを不当に軽視しているといわなければならない。

よって、李らの前記見解は、採用できない。

(七)  なお、原告は、労働者災害補償制度が労働者の生存権保護を目的とする制度であることを前提に、業務起因性における因果関係の判断は、損害賠償事件におけるそれよりも、緩やかであってしかるべき旨及びAが以前にも転職した経験があることや廣道興産を退職するにあたっては相当額の和解金を取得したことから、右退職に伴う精神的負荷はさほど重大なものではない旨を主張する。

しかしながら、労働者災害補償制度の趣旨についての当裁判所の見解は、前記のとおりであり、原告の右の点に関する主張は、独自の見解というべきであるから、採用できない。また、原告の廣道興産からの退職に伴う精神的負荷はさほど重大なものではない旨の主張については、前記のとおり、廣道興産からの退職は、廣道興産の事業廃止を原因とする外因的、強制的な退職であったこと、Aの抑うつ症状が右退職に近接する時期に顕著になったことからすれば、右退職に伴う精神的負荷は大きいものがあったというべきであって、Aがそれまでに転職の経験を有していたとしても、右転職がよりよい賃金の確保を目的として自発的になされたものであることに鑑みるとき、右転職に伴う精神的負荷と廣道興産からの退職に伴うそれを同一視することは到底できないというべきであるから、原告の右主張もまた、採用することはできない。

四  右判示のとおり、本件自殺が本件傷害に起因するものであること、すなわち、本件自殺がAの業務に起因するとは断定できない。

したがって、原告の労災保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の本件処分は、違法であるということはできないのであるから、本件処分の取消しを求める原告の本件請求は、理由がない。

第五  結語

以上の次第で、本件請求は理由がないから失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中路義彦 裁判官長久保尚善 裁判官森鍵一)

別紙〈省略〉

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